205_法雲寺移転事業

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(5)法雲寺移転事業

さあ、いよいよ寺の引っ越しです。それには先ず行き先の土地造成が先決ですから、藩の総力を二分して、陣屋と法雲寺の両方を同時に進めました。陣屋の方は村の中心部である野々上と呼ばれる台地を削るだけですが、法雲寺の方は湯舟川と中小屋川の合流点に出来た荒廃地を指定されていますので、寺域を取り囲む護岸工事を伴いますから、そう簡単には出来るものではありません
そこで縄張りの中の町に近い部分だけを取り敢えず整地して、本堂を先ず移築しました。仁王門や鐘楼などは開山堂とともに観音山に残したままです。移すだけの敷地が取れなかったからでしょう。

報恩寺周辺図

湯舟川と中小屋川(昆陽川)が合流する広い川原を護岸・埋立して法雲寺敷地を開発した。

法雲寺の現本堂の造作から推して当時の佇まいを知る事が出来ます。何故ならお宮やお寺という聖地ははじめの姿をそのまま継承する事で神仏の威神力も損する事無く後世に伝わる――。伊勢神宮や出雲大社はその典型ですが、一般の寺社でも余程の事が無い限り原型を守っています。

平面図

法雲寺本堂平面図

この堂舎はいわゆる〈方丈形式〉で〈庫裏本堂〉とも言い、仏殿と管理室が一棟に収まっています。七堂伽藍の大寺ならともかく妙心寺の荘園政所とは言え、僅か七美荘一庄を差配する末寺ですから、これで十分役目が果たせたのでしょう。それでもほかの寺よりは一回り大きく造られています。上の平面図をご覧下さい。
建物の中心である仏殿(内陣)です。間口三間、奥行き四間ですから、畳敷きにして二十四畳です。一般では間口二間から二間半が通例のようですが、この半間から一間の違いによって建物全体の大きさが違ってきます。
通常よりは広いこの内陣に奉安されているのは〈禅定の釈迦〉と呼ばれる禅宗様式のお釈迦様です。法雲寺は禅宗(臨済宗)から日蓮宗に代わったのですから、自宗のご本尊―お釈迦様ですと、〈一塔二仏の釈迦像〉か〈十界大曼荼羅〉または〈日蓮上人像〉等にしても良かろうものを敢えて旧儀のままとされたところに、日映・矩豊師弟の誠実さが窺えます。
このご本尊ですが、今少し考えてみたいことがありますので、項目を改めさせていただきます。


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2020年4月12日