さかさま

「私は無学でして・・・・・」教育が普及した今日ではあまり聞かない言葉だが、かつてはよくつかわれたものです。
「ほんまになあ、あなたほどの物知りなら、無学ちゅうてもええでしょうなあ」山寺の和尚さんが相槌を打ってます。とたんに、無学といったご当人がけげんな顔をすることになる・・・。お分かりでしょうか?お経には「学無学」という対語があるのです。

続きを読む

 1,160 total views

2020年1月27日 | カテゴリー : 法話 | 投稿者 : houun

大黒天

大黒天
大黒天と干支(ねずみ)と縁起物

大黒天の説明

大黒天はインド神話に登場するマハー・カーラという戦いの神と、
日本神話に登場する大国主命という縁結びの神様が組み合わさって生まれた仏様です。

続きを読む

 1,118 total views

子年と千手観音

令和2年は子年(ねどし)となります。
その昔、神様が年の名前を決める時に、ねずみは牛の背中に乗ってチャッカリと神様の前に一番乗りをして、十二支がねずみから始まるようになった話はよくご存じだと思います。
ねずみは要領が良くて、素早く機転が利き、賢いイメージが有ります。また、ねずみの語源は「寝ず身(見)」(ねずみ)から来ているとも言うことから、常にコツコツと積み上げる働き者で、富や大成の象徴のようにも言われます。

続きを読む

 8,130 total views,  4 views today

宿題

床に見慣れぬ一軸が掛けてある。うずくまった象の背に、遊女風の佳人がふんわりと腰掛けた図柄だ。
「これご法印さんがお越しやゆうんで出しときました」家刀自(いえとじ=ご令室さま)がおっしゃる。さては我が眼力を試す魂胆か?すれば何とか答えずばなるまいが、私のようなお粗末な法印さんでは、もの申そうにも申し上げるものが無い。

続きを読む

 1,018 total views

2020年1月27日 | カテゴリー : 法話 | 投稿者 : houun

応挙画「仙人図」手拭い(参拝記念)

参拝記念手拭を作ろうと思って

「仙人図」手拭い

お寺に参拝された時の記念品というか、お供えのお返しの品は、「お線香」や「タオル」、「マッチ」や「ふりかけ」等、どんな物が良いのか、毎回決めるのに思い悩みます。
そんな時に、「定番の記念品的な物があれば、助かるのにな~」等と思います。
そこで、お寺の文物紹介も兼ねて、イラスト入りの参拝記念の手拭いを作ろうかなと思い、史料館「山名蔵」に収蔵されている、応挙作と言う「仙人図」から、手拭いを作ってみました。

「仙人図」について

円山応挙と言えば、但馬地方では香住の大乗寺の襖絵が有名ですが、江戸時代の中期に京都を中心に活躍した画家で、写生を重視し、日本画の題材に写実的な技法を取り入れて、独自の画風を確立させたと言われます。
手拭いの原本となった「仙人図」は、豊岡藩・京極家所蔵の品で、明治維新の時に藩財政清算の為に市中に出されたようです。その後、幾人かの手を経て、表具師をされていた法雲寺の檀家の元にたどり着き、平成3年(1991)の「山名蔵」開館の際に展示品としてご寄贈頂いたものです。

応挙の軸がもう一本

有り難いことに、山名蔵にはもう一軸、応挙の掛け軸が有ります。
これは、能の「江口君(ぎみ)」の一場面を描いたもので、日本画の画題として昔から好まれてきた物のようです。写真のように美しく写実的で美しい色合いの絵ですが、その繊細さ故に余り手拭い素材としては向かないように思ったので、水墨画的な「仙人図」を選んだ次第です。

絵の内容は

仙人図に話を戻しますと・・・

絵の師匠が二人の弟子と共に絵の製作に臨んでいると、気を込め過ぎたのか?描いていた絵が魂を持った「もののけ」の如く紙面から飛び出してしまうと言うユーモラスな場面を描いています。
「またか」と困り顔の師匠に、「そら、出てきた」と大喜びの兄弟子、突然のことに頭を抱え込む弟弟子、三者三様の表情を、現代の漫画に通じるような表現で描いているところに面白みを感じます。

そして、絵から飛び出していったものは一体何だったのか?気になるところですが、絵の上には飛び出していったものの余韻しか残っていません。一説には、足の無い幽霊画を初めて描いたのが円山応挙だと言います。この仙人図を見ると、その説も納得できるように思います。

作成の手順

今回の手拭いのデータ起こしは、当方で行いました。
「仙人図」の写真をとり、それを下敷きにしてドローソフトで輪郭をなぞり、衣と肌の色を色づけをして、手拭い大のサイズに調整する・・・といって流れで作成しました。
色の使用数は3色ですので、輪郭で黒を使っていますので、残り2色。原本通りの色の塗り分けは無理です。今回は衣の色を3人とも同じにした次第です。
因みに、ドローソフトはイラストレーターが標準のソフトのようですが、素人には少し高く感じますので、インクスケープという無料のソフトを使用しています。

ドローソフトで作成した手拭いのデータをPDFに変換して、後は検索サイトで「手拭い オリジナル 作成」で検索すると、手拭いの業者がいくつも出てきます。
その中から、頼みやすそうな会社を選択して、作成を依頼という手順です。

少ない数ですが・・・

今回この「仙人図」手拭いを100枚作成しました。余り数は多くないですが、、この手拭いを手にするご縁がありましたら、身近においていろんな用途に使用して頂ければと思います。

 2,144 total views,  2 views today

海軍短剣の手入れ

村岡山名14代公、佩用日本海軍短剣

戦前・戦中に日本海軍で過ごされた第14代晴彦公ご愛用の短剣です。
刀身は約30㎝、刃渡りは約20㎝。
公は元丸岡藩(福井県坂井市)主の家系であった有馬純文家にてお生まれ(大正9年)で、神戸での在学時分に航空機の操縦免許を取得。

山名晴彦公


卒業後、海軍省へと入省。以降、幾多の戦艦にて乗船勤務。
高松宮様が海軍勤務当時、殿下付きの副官として一時勤務された経験もあり、戦後、姓が有馬から山名に変わった後も、高松宮との繋がりは続いたと聞く。
また、乗船中は常に船員名簿を身近に置き、「攻撃を受けて沈没の際には、船員名簿を油紙に包み、腹に巻いて、泳いで非難しなければならなかった」と、海軍時代のエピソードを語られていた。

戦後は、縁あって村岡山名13代・山名義鶴公の娘・京子様と婿入結婚し山名姓となる。自衛隊発足後は、海上自衛隊勤務。主に会計面を中心として、海上幕僚部で重責も務める。昭和63年山名会発足から、平成20年のご逝去まで、山名会の総裁を務められた。

刀は、戦後も晴彦公が手元に置かれ、時にご自分で手入れもされていたのか、今でも鋭利な刃先を残している。ただ玄人の研ぎではないので、刃の表面は鏡のようではなくムラがある。
専門店に研ぎに出すのも良いかもしれないが、その前に、自前で何とか綺麗にならないかと思い、打粉より細かいコンパウンド等で試験的に研磨中。

 4,582 total views,  2 views today

2020年5月22日 | カテゴリー : 山名蔵, 話題 | 投稿者 : houun